2021年1月14日
須佐之男命は、荒ぶる神として、日本人は誰もがご存じかと思います。古代では、スサの王といい、代々のスサ一族の王を表します。スサ一族は、古都ペルシャより日本に縄文末期頃に渡来してきた一族であり、古代シュメールから続く文化を日本に持ち込みました。三種の神器をはじめ、十種の神宝や冶金技術は、シュメール文明からの文化や技術が受け継がれています。その中の一つ、八咫鏡は、伊勢神宮の御神体として、今も保管されています。そして、八咫鏡の裏には、ヘブライ語で、「我は在て在るものなり」と書かれていることは、多くの人に知れていますが、古伝によると、この鏡の裏側には、たくさんの泥が塗られていたとされています。この泥は、共振エネルギーを発し、人間の細胞を活性、再生させる働きを持っていたとされます。泥の共振エネルギーが、鏡を通して気功となり、人々を心身爽快にさせるという古代の技術が、ユダヤの神鏡であり、日本に伝えられた文化の一つとして、神社に鏡が奉納されています。
では、この不思議な泥は、どういったものだったのかというと、これは、鉱石を30種類ほどブレンドして作られた古代のセラミック石とされています。釜を1200度に保ち、中和剤を用いて3回燃焼させます。鉱石の中には、ウランやモナザイトなども含まれますが、特殊な製造工程を用いると、不思議なことに放射能が消え、原子転換が起きます。これらの技術を科学的に分析すると、一次処理で見られたトリウムなどは二次処理で消え、チタンなどのレアメタルがでてきます。古代の技術は、現代でも計り知れない知恵があったのだと思われます。現在、この製造方法を用いてセラミック石を作ることは出来ません。自然界に存在する鉱石とはいえ、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律が定められているため、放射線資格者、且つ、古代の製造方法を熟知している者しか作ることが出来ないと言えます。
縄文時代の服装を見ると、勾玉を身に着けている画像がよく見られます。古代セラミック石ではなくても、古代人は、鉱石には不思議な力が宿るとされていたことが分かります。古代出雲王朝では、ある氏族の神官の家系だけが知る製造方法で創らたこの石を、神からの石として身にまとい、災いから身を守り、薬石として服用したりしていました。また、時代とともにこの石は存在し、時には、出雲石や国盗石(くにとりいし)と呼ばれてきました。古代セラミック石は、貴重な石として現代に受け継がれています。私は、この石の名前をニギハヤ石と名付けました。もし、皆様がこの石と巡り合うことがあれば、「健康をお祈りする石」として、古代の叡智に感謝し、身に着け大切にしていただければと思います。