日本の神宝はどこからやってきたのか?幻の王朝と受け継がれる意思とは

2020年12月23日

古代の歴史をどこまで遡れるか、定かではありません。日本だけでなく、世界に目を向けても、戦争によって書物は焼かれ、建物は倒壊し、多くの歴史が地に埋もれたと思います。電波望遠鏡で星の位置を観察するように、歴史を解明出来ればよいのですが、そうはいかない。歴史は、考古遺物を発見し、放射性炭素年代測定で時代を知り、その都度、歴史学者の知識と憶測で、判断せざる得なかった。その憶測かも知れない一説を紹介します。

【文明は崩壊と再生を繰り返す】

古代日本は、遥か昔には各地域で王朝が栄えていた時代がありました。現在に伝えられているだけでも、蔵王王朝、日高見王朝、飛騨王朝、富士王朝、近江王朝、丹後王朝、阿波王朝、吉備王朝、出雲王朝の名があげられます。とくに、須佐之男命を始祖とする出雲王朝は、他の王朝よりも勢力があり、反映した時代がありました。その須佐之男のルーツは、縄文末期から弥生初期に渡来したペルシアの古都スサのエラム人とされています。古都スサは、エラムの都市として古くから栄えた国であり、オリエント最古の文明、メソポタミア文化、バビロニア古代帝国の影響を受け、高度な繁栄を誇ったペルシア(アケメネス王朝)でした。しかし、マケドニアの王アレキサンダーによって滅亡に至った歴史(紀元前356年~紀元前323年)があります。マケドニアの侵略によって国を追われ、海を越え日本にたどり着いた須佐之男一族により、持ち込まれた文化は、古代日本に大きく影響を与えました。後に日本の神宝となった「三種の神器」を持ち込んだのも、須佐之男一族と伝えられています。平安時代の出雲大社が、日本版バベルの塔と例えられたこと、八咫鏡の裏に記載されたヘブライ語、日ユ同祖論といったことも、うなずるのではないでしょうか。

【闘いなき世界に強者は栄えず】

日本の神宝「三種の神器」は、権力の象徴、天皇即位のしるしとして、現代に受け継がれていますが、古代日本では、三種の神器をめぐり、争いがおこりました。もともと古代日本は、北や南、ユーラシア大陸から人々が渡来してきた国ですが、古くに渡来してきたであろう旧渡来人は、葛城氏、紀氏、中臣氏、忌部氏、物部氏とされています。そして、現在の天皇一族(日向天孫族)は、新渡来人とされています。旧渡来人と新渡来人との間で衝突があり、日本が統一されていく背景には、隠さざる得ない争いの歴史が、あったのかもしれません。一部、日本神話として、「国譲り」として伝えられいることは、ご存じかと思います。歴史は勝者が作るものです。本当の歴史は、その時代に生きた人にしかわからないロマンです。

【歴史は変わる、言葉は繋ぐ】

歴史の中に、素晴らしい言葉は残ります。私は、国譲りに登場する大国の主の言葉が好きです。「私たちが住むこの日本は、争いごとではなく愛によっていつの間にかつくられた愛の国なのである。」←八百万の神大図鑑引用。歴史はベールに包まれていますが、歴史書には、先人の言葉が残っています。本当の歴史とは、言葉を知ることであり、言葉は教えになります。そして、現代を生き抜くヒントになるのだと私は思います。

未来の平和を願うコダイとミライより